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      < 塚越 克一 氏 >

 大手製薬会社を退職後に一般社団法人関東ゴルフ連盟(以下KGA)の職員として、約22年間に渡りKGA主催公式戦を中心にゴルファーの写真を撮り続けてきた塚越克一氏ですが、2023年12月末にその職をおりました。

 2024年春に氏を訪ね、約22年間に渡る写真を含めた情報発信に務められたお話を、伺う事が出来ました。

━━━ 何時からKGAの仕事に係る様になったのですか?
塚越氏 会社員生活から離れ、4年が経過した2002年の時です。
    友人が既にKGAで広報の仕事をしていたのですが、その方の紹介で同様に広報の仕事
    をする事になりました。

━━━ 退職されてからの4年間は何をされていたのですか?
塚越氏 退職時に後の明確な人生設計をもってはいませんでしたが、ゴルフ好きと言う事もあ
    り、ゴルフのボランティア団体へ登録し写真を撮っていました。
    当時はボランティア活動が注目され出し、そのはしりだった様に思います。

━━━ 退職前はどの様なお仕事をされていたのですか?
塚越氏 退職前は製薬会社に勤務していたのですが、いわゆる転勤族でした。入社時は埼玉県
    の工場、本社、札幌支店、大阪支店、広島、仙台、大阪、東京と転々としました。
    最後は東京本社の経理次長で、定年を迎えました。

━━━ ご自身とゴルフのかかわりは?
塚越氏 札幌支店に勤務して頃に、ゴルフを始めました。
    たまたま岳父が、札幌の或るゴルフ場の責任者をしていた関係から、30歳の時にその
    クラブへ入会したのですが、間もなくして岳父は転勤していました。

━━━ ゴルフ好きが高じて、様々なクラブの会員になられたとか?
塚越氏 転勤する度に会員になっていましたね。
    札幌を皮切りに大阪、広島、仙台でもそれぞれ会員になりましたが、特に茨城県の金
    乃台カントリークラブは、通えないのにも関わらず会員になっていました。

━━━ 話はKGAに戻りますが、広報とはどの様なお仕事ですか?
塚越氏 広報誌や会報誌の作成が主軸です。
    KGA主催の試合を、早朝から選手が会場からいなくなるまで撮影・取材するのですが、
    その作業を大会期間中行います。

    この試合の内容や雰囲気、更には選手のコメントなどを紙媒体で作成し、広く知らし
    めて行くその様な仕事になります。

━━━ 就任当時の広報誌や会報誌の作成状況を教えて下さい
塚越氏 2002年当時はフィルムカメラで撮影していました。天候によっては20~30枚撮って、
    やっと1枚使えるものがあるかどうか、そんな状況でしたね。
    その画像を紙へプリントして製版屋さんへ渡すのですが、写真は網掛けなどの加工作
    業をした後に、印刷そして製本され広報誌が出来上がる、大まかに言えばその様な工
    程でした。

    2003年からデジタルカメラを導入しての撮影が行われる様になりますが、それでも全
    面的に切り替える迄には、まだ時間がかかったと思います。ですがデジカメの比重が
    高まると共に作業工程も少なくなり、作業自体が比較的楽になりました。

━━━ KGAの活動では写真撮影を主にされていましたが、カメラについて教えて下さい
塚越氏 私は中学生時からカメラが好きで、良く写真を撮っていましたが、これは今日まで続
    いています。KGAで活動する以前は趣味でしたが、KGA時代の約22年は仕事になりま
    した。

    KGA時の初期はニコンFを使用していました。ニコンの良さはレンズだと思いますが、
    奇麗な絵を出してくれていますし、Zシリーズになった今でも変わらなく使えています。

    一時はカメラを80台くらい所有していましたが、中古カメラ屋さんをやっている友人
    から、譲って下さいと言われ、今では30台ほどに減りました。お店でも開業出来るの
    では無いか、と言う状況でしたね。

━━━ KGAの写真アルバムなどを手作りされて来たとの事ですが
塚越氏 私は物づくりが好きで、KGAの活動で撮りためた写真で、アルバムを作成したりしま
    した。製本キットを仕入れて、全て手作りで製本までこなしました。これは将来KGA
    が記念誌などを作成する場合に、必要になるだろうと思ったからです。

    またデジタル化の進化と共にKGAの会報ですが、1号から99号までの全ページをスキ
    ャンして、Webサイト掲載用の原稿を作ったりしました。

    ちなみに2007年の関東アマでは、大会の記録を1冊にまとめたのですが、石川遼君か
    ら欲しいと言われたので、刷り増しした事もありました。

    < 塚越氏が作成した2007年関東アマのアルバム >

━━━ KGA保管資料のデジタル化に取り組んだとの事ですが
塚越氏 次のKGAの記念誌発行は、恐らく80年史になると思いますが、紙写真であるとかネガ
    などのデータを全てDVDへ残しました。

    このデジタル化については私が提案し、「暇な時にやりますよ」と申し上げたのです 
    が、半年ぐらいかかりました。

━━━ 試合会場への移動は車ですか?
塚越氏 そうですね。カメラ機材が多く重いので、ほとんどの会場へは車で移動しました。

    年間25回ほどの取材ですが中には新潟県や静岡県など、取材対象は広範囲にわたって
    いましたので、そのほとんどを車で移動しました。

━━━ 数多くのジュニアの成長を見て来られたのではないですか?
塚越氏 ジュニアと言っても数年経過すると、プロトーナメントで活躍する子もいますから、
    驚く事も多々ありましたね。
    振り返れば、多くのジュニアの成長過程を見れたのは、大変有意義でした。今でも様
    々な試合会場で、男女限らず大人になったかつてのジュニア選手に声を掛けられます
    が、大変嬉しいですね。

━━━ 数多くの試合の中で記憶に残る試合とは?
塚越氏 何と言っても2007年の関東アマですね。6月4日から千葉県の千葉カントリークラブで
    開催されたのですが、前々週にプロトーナメントの『マンシングウェアオープンKSB
    カップ』でアマチュア優勝した、高校生の石川遼君が出場すると言うので、それはそ
    れは大騒ぎでしたね。

    KGAの試合では経験した事の無い様な大勢のギャラリーと、数え切れないほどの報道
    関係者が押し寄せて来ましたので、その対応が大変でした。空を見上げれば、ヘリコ
    プターがブンブンと飛んでいました。

    何か一大事件が起きている、そんな雰囲気でしたね。それほど石川君の登場と、試合
    への出場は強烈でした。最も記憶に残るKGA在職中の試合といえば、この出来事でし
    たね。

━━━ 撮影・取材はKGAの試合以外へも行かれたのですか?
塚越氏 そうですね。
    例えば日本オープンなどへも行きましたが、それは試合会場であるゴルフ場から、依
    頼されて撮影(取材)を行っていました。
    特に茨城県の茨城ゴルフ倶楽部で行われた『ワールドレディスチャンピオンシップ サ
    ロンパスカップ』へは、開催初年度より撮影(取材)してきました。

━━━ 在職中にKGAの理事長、或いは広報委員長は何人交代されましたか?
塚越氏 在職中に7人、理事長が交代しました。福田彰、吉田友明、竹田恒正、廣幡忠淳、
    髙橋正孝、池谷正成、佐藤敏明の各氏にお世話になりました。

    また広報委員長は、順番に髙橋正孝、塚原裕、吉田裕明、近藤勇樹の各氏にご指導頂
    きました。
    その他の各委員の方も多彩で、楽しく仕事が出来ました。

━━━ 約22年間もの間、ご自身をKGAの活動へ駆り立てたものは?
塚越氏 何と言ってもゴルフが好きだ、と言う事では無いでしょうか?
    それに尽きる様に思います。

━━━ 約22年間の活動に終止符をうとうと決断された理由は?
塚越氏 そうですね、高齢と言う事もあり、またやりきれたかなと言う、何か達成感が有り、
    区切りをつけようと思いました。

━━━ ところで金乃台カントリークラブでエージシュートを達成されたとか?
塚越氏 2016年10月の開場記念杯と言うクラブ競技で、初めてエージシュートを達成しまし
    た。80歳にしてスコア75でした。
    クラブからは記念に、下記写真の様な盾を頂きましたが、それ以降16回記録してい
    ます。

    < 金乃台CCより贈呈された盾 >

━━━ ご自身の今後の目標などが有れば教えて下さい
塚越氏 前職の仙台勤務だった時に、ハンディキャップは5になりました。その後、終の棲家
    と決めた茨城県の自宅近くにある金乃台CCでも、5まで行きました。  
    金乃台CCではシニアチャンピオンとグランドシニアチャンピオンにもなりましたの
    で、充分にクラブライフを堪能出来たと思います。

    30歳から始まったゴルフ人生ですが、2024年春の時点で3910ラウンドしています。
    健康に留意しこのラウンド数を2年ぐらいかけて、4000ラウンドを達成したいと言う
    のが、一つの目標です。

    二つ目の目標は、80歳時に達成したエージシュートを、今後更に複数回達成したいと
    考えています。
    この二つが、今後のゴルフ人生の大きな目標です。

━━━ KGAでの長年のご活躍、お疲れ様でした。
    KGAを離れての目標を4000ラウンド達成と、エージーシュートの更なる達成と語る
    塚越様のお顔は、大変穏やかでした。

取材後記
  氏を表現するには、「器用」などとの言葉では表現出来ない、大変スキルの高い人物と言
 うのが適切なのだと思います。ゴルフの実技はかつてシングルの腕前、写真撮影は料金を徴
 収していないだけでプロ級、パソコン関係にも詳しく、氏には不得手な分野が有るのだろう
 かと思ってしまいます。

  氏は約22年に渡りKGAの活動に従事してきましたが、滅私奉公的活動は称賛されてしかる
 べきもので、金銭などの尺度では代えられない貴重な有形無形の資産を残されて来ました。

  今回塚越様には長時間にわたる取材に応じて頂き、その内容を此処へ記す訳ですが、普段
 スポットライトを浴びる事の無い一人の裏方さんの活動を、この誌面を通じ多くの方々に知
 って頂き、華やかな舞台を支えている方々へ、少しでも思いをはせて頂ければ取材冥利に尽
 きます。

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                           2024 年09月28日
                           文_大野良夫 © Yoshio Oono
                           日本ゴルフジャーナリスト協会 会員