城山三郎 ゴルフの時間
☆ 著 者 城山 三郎 ☆ 発 行 者 木村 玄一 ☆ 発 行 所 ゴルフダイジェスト社 〒105-8670 東京都港区新橋6-18-5☆ 連 絡 先 03−3432−4411 (代表) / 03−3431−3060 (販売)☆ 初版発行 2007年9月26日 (税別 定価 857)☆ 著者略歴 1927年 愛知県に生まれる。 1946年 東京商科大学 (現・一橋大) 入学。 1952年 一橋大学 卒業。 1957年 第4回文學会新人賞を受賞。 筆名を城山三郎とする。 1959年 「総会屋錦城」 で第40回直木賞受賞。 1960年 5月安保闘争に参加。 1963年 愛知学芸大学を退職し、著述活動に専念。 1966年 不眠症を治すため医師の勧めでゴルフを始める。 1975年 「落日燃ゆ」 で毎日出版文化賞・吉川英治文学賞受賞。 1996年 第44回菊池寛賞受賞。 2003年 <経済小説の分野を確立、組織と人間を描いてきた功績> により朝日賞受賞。 2007年 3月22日間質性肺炎のため逝去。
「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 「あなたの身体は眠ることを忘れている。 一週間に一日だけでよいから、朝から晩まで身体を使って、疲れ 果てて寝るようにしなさい」 主治医にそう言われて始めたのがゴルフだった。 当時、文士の多くはゴルフのような "流行もの" をバカにしていて、私も御多分に漏れず、ゴルフの悪口ば かり言っていた。 渋々始めたゴルフだったが、今にして思えば、ゴルフのお陰で命拾いしたことになる。 ゴルフを始めるようになってから、ヒロポンとはキッパリと縁が切れ、 その後、健康的な作家生活を送れるよう になった。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 」 ━ ( もしもゴルフがなかったら ・ ・ ・ ) より抜粋 ━
■ 本書に関して
作家・城山三郎は必要に迫られ、医師の勧めでゴルフを始めた。その時39歳。 そしてその効能が出始め、死に往く体と精神に、ストップをかけられた。 睡眠を忘れた体に、ゴルフでの疲労感は心地よかった。そして眠る事が出来る様に成った。 薬要らずだ。 命拾いしたのだ。 愛国青年・城山は徴兵猶予を返上し、18歳にして海軍特別幹部練習生として志願入隊するも、その年敗戦を迎えた。翌年東京商科大学予科、現在の一橋大学へ入学。 大学ではゾル (兵隊) と呼ばれ帰還兵はバカにされたのだが、 城山はその風潮を見返すべく、 日夜勉強に明け暮れた。 来る日も来る日も、時にはヒロポン (覚醒剤の一種) を使い、本を読み勉強し仕事をした。 次第に身体は蝕まれやせ細っていき、異常行動をとる様になっていき、それはゴルフと出会うまで続いた。 ゴルフと出会う事により、城山三郎は健康的な作家生活を、送れる様に成ったのだ。 本書は大変に読み易い。 文字も大きく、写真も挿入されており、インタビュー記事などは、上段と下段が空白で文字数も少ない。 当初この本を手に取り、ページをめくり出した時、これは出版社の手抜きでは無いのか、と疑ってしまった。 装丁にも創意工夫の跡が見られない様な、文章構成も脈絡の無い安易な作りの様に、思えた。 しかし、待てよ! 私はこの本の書評を書く為に、一通り読み終えた後に、何度も拾い読みをし、気付かされた。 この本には作家・城山三郎の生き様と、そのゴルフが凝縮されていたのだと。 作家・城山三郎は言う。 人生は (無所属の時間) が必要だと。 著者は本と旅、そしてゴルフに無所属の時間を求め、大切にした。 39歳にしてゴルフと出会い命拾いした著者は、2007年3月22日79歳にしてこの世を去った。 40年間、(ゴルフの時間) を大切にしたのだ。 健康の為に始めたゴルフは、城山にとり唯一リラックス出来る趣味でも有り、そのゴルフは同伴者に迷惑をかけない事をモットーとした。 因みに著者は、程ヶ谷カントリー倶楽部、相模カンツリー倶楽部、スリーハンドレッドクラブの会員で在った。× × × × × × × × × × × × × × × × × × × × × × ×尚、本書は好評に付き、全国書店、ネット書店にてお買い求め出来ます。(2015年4月)☆ 株式会社 ゴルフダイジェスト社 〒105-8670 東京都港区新橋6-18-5 TEL 03-3432-4411
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